手首を骨折し、ギプスを付けています。パソコンのキーボードは打てますが、未だ生活に支障をきたしています。そこで思ったこと「やるべきことを全部やろう」不自由な生活が、決断を促しました。
この企画は、何十年も前から寝かされていたものです。
かつて編集者だった頃に、知り合い経由で話が持ち込まれました。知り合いの、お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんが、自分史を作りたい、とおっしゃっていました。自ら執筆するのは大変なので、あなたが代わりに書いてくれないかと。そのとき、わたしは何と答えたか「自分で書いたほうがいいですよ」自分史という性質上、本を作ること自体ではなく「自分で書く」という行為と、その過程にこそ意味があるだろうと考えていたからです。いま思えばひどい突き放し方でした。
自分の間違いに気づいたのは、編集者はとっくに辞めて、何年も経ってからです。
わたしのおばあちゃんが、そのとき90歳近い、80何歳だったと記憶していますが、不意に「自分史を代筆してくれ」と言ってきました。おばあちゃんは、女学校卒で、本は読むし、文章も書くし、いつも使っている文机があって、その下には分厚い辞書が常に置かれているような人です。ひとことで言えば、書き慣れている人です。自分で書けるはずでは?と疑問に思いました。その時の、おばあちゃんの言葉を忘れません「もう少し若ければ...」あと何十年か、歳が若ければ、縦横無尽に文字を埋められたかもしれない、そう言わんばかりに、こちらを見つめていました。
文章を書き慣れた人でも、自分史は、意外にもハードルが高く、他人の人生であれば平静に書き綴ることができても、これが自分自身の歴史となれば、話が変わってくるようです。
自分史は人生の棚卸し、などと言いますが、その荷物が多ければ多いほどに客観的な分析が難しくなります。
文章を書くこと自体は、それほど難しくない、としても、この奥底を正しく表現するためには、まるで見ず知らずの他人の人生を覗き込むかのような客観的分析をしなければ、どうしたって、ひとりよがりの自分史になるでしょう。本質的には、それは文章力や構成力などに原因があるのではなくて、そもそも我々は、誰だて、自分を守り生き抜くために、自己愛というもので自身を包み込んでいるわけで、これを打ち破り世間様に曝け出すことは、そう簡単ではないはずです。
見ず知らずの他人でなく、自分の人生だからこそ書けないのです。書き直しても違うと思うのです。伝えたいこと、表現したいこと、遺したい気持ちが溢れかえってくるのに、何かが違う、これではない、と思うわけです。もどかしさに振りまわされ、時間だけが過ぎて行きます。もっと早くに自分史を作りたいと望んでいたとしても。わたしのおばあちゃんは、文机に頬杖をついて、見えない虚空を、ずっと見つめていたのかもしれません。
代筆してくれと、望まれていたことを、その時、思い出しました。若い頃は、わかりませんでした。
わたしのおばあちゃんは、自分史が完成する前に亡くなりました。おばあちゃん自筆の、粗筋が書かれた4,5枚の原稿用紙が遺りました。戦中、戦後と生きて、今日鍋に入れるものがない極貧生活で、戦争にとられてしまった愛する夫の代わりに、義父母と、子どもたちの面倒を見、女手ひとつで家計を支えた人生が、たったの原稿用紙4,5枚でした。
後悔は知恵の緒と言われます。
わたしがやるべきことを、やるために、KURU出版を立ち上げます。
通常、出版社は、出版業務専門に、それだけを行なっているので、売れる本を作らなければ、生業として成り立ちません。あるいは、売れる売れないに関わらず、その出版業務内で利益を出さなければならない事業形態もあるでしょう。
一方、KURU出版は、本体が「allMU(企業向けのネット展開を行なっています)」であり、出版業務だけで儲けを出す必要がないです。売れる本を作る、または自分史を受注しなければならない、というような、強制的な販売営業の呪縛から解放されています。
世の中に、これだけ多くの書籍が溢れていて、利益を出すため次々と印刷されていきますが、KURU出版は、商業的な業界常識には倣わずに、自分史のクオリティに、忠実でありたいと考えています。
では何が、素晴らしい自分史なのでしょうか?それは、正確に表現されていて、たとえば、わたしのおばあちゃんが、喜んでくれるような自分史である、と考えます。
便利なインターネットの負の側面。
絵でも文章でも好きなだけ簡単にアップロード出来、修正も容易に出来ますが、裏返せば、デメリットでもあり、必ずしも、ずっとそこに保存され、表示し続けるとは限りません。具体的には、サーバーが落ちたり、電気がなければ表示できないですし、管理者が居なくなれば、ドメインごと失効します。パソコンやスマートフォン、タブレットに表示できないどころか、この世から消え去ります。ネットで情報発信するというのは、アクセス不能になる危険性を常に内在しているわけです。簡単に言えば、不安定です。ここが紙媒体と大きく異なるところです。
紙媒体は安定しています。いつでも開いて見ることが出来ます。保存状態にもよりますが、意外と年数も持ちます。わたしの手元に『20世紀の世界文学』新潮四月臨時増刊(1991年発行)がありますが、黄ばんではいるものの、ちゃんと文字が読めます。
ネットを主戦場として日々戦う者としては、この圧倒的な安定感、紙媒体が廃れない、理由の1つだと実感しています。
なお、電子書籍も併せてご希望の場合は、紙媒体よりも容易にできますので、ご相談ください。
Q.KURU出版を立ち上げた理由は?
A.かつて果たせなかったご要望に、いま応えたい。
Q.あなたが選ぶべき理由は?
A.安定的な紙媒体を使い、自分史のクオリティに忠実でありたい、とお考えであれば、あなたがKURU出版を選ぶ理由となるでしょう。
Q.どのように申し込めばよいのですか?
A.まずはご相談ください(相談無料)自由に書き込めるフォームを用意しました。
「「自分史」を問い合わせる ⇒
」をクリックしてください。お問い合わせフォームが開きます。
なお、数をさばいて受注数を稼ぐことが目的ではないので、月平均1件〜2件までを想定しています。
If you want to be happy, be. 〜Leo Tolstoy
(訳:もしも幸せになりたいのなら、幸せになればいい。〜トルストイ)
読まれる自分史でなければ遺せないものがある
サイト名 | KURU出版 |
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代表者 | 柳川ひろこ(hirokoya) |
所在地 | 岩手県奥州市在住 |
ホームページ | https://kuru-publication.com |
ご依頼方法 | お問い合わせフォーム |
提供方法 | 案件によります |
提供までの期間 | 案件ごとに事前提示します |
提供エリア | 地域限定なし |
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販売価格 | 案件ごとに事前提示します |
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